CONCEPT

すまいの役割

・家族のかたち
現在の日本では核家族が全世帯の約6割程度を占めています。もともと日本は一般的に父系で長男が生家に残り、次男以下は独立する形が多く、必然的に核家族の比率自体は高めでした。なので、戦後に急激に広まった家族形態という認識は厳密には異なります。しかし実態としては昔とは状況が少し異なります。まず戦前戦後は出生率が高く、それに伴って長男以外の兄弟の人数が多いため核家族の比率が高かったものが、高度成長期以降では長男も生家に残らず核家族となることで、その比率を押し上げていました。(ピークは1975年頃といわれています)これには就業形態が大都市集中型になったことによる通勤などの物理的な事情が直接的な理由としてあげられます。また同時に家電製品の普及によって家事労働の軽減されたことで、従来あった三世代の家事分担の必要性からも開放されたことも、背景の一つと考えられます。しかし、現代ではさらに進んだ高齢化や、晩婚化、生涯未婚などの増加や社会構造の変化により、様々な家族のかたちが生まれています。例えば特に血縁関係にない人たちが集って住むシェアハウスなどは、若者だけでなくシングルマザーや高齢者などに特化したハウスもあり、従来の定義では捉えにくい部分もありますが、ある種の「家族」と言えるのではないでしょうか。

・生活をする
すまいとは何かを考えた時に、最大公約数的な答えは「生活の器」となるのではないかなと思います。その器に入る生活とは、単純に考えれば生きるために必要な労働(生産)と生物として必要な食事、睡眠、生殖が基本だと思います。しかし、日本では近代以降、労働(生産)の場所はすまいからどんどんと離れて行きました。まずは労働を集約するために、会社や工場などが大きくなり、さらなる効率化によって可能な業務は国外にまで飛び出していくようになって現在に至ります。これにより、すまいの周りでは昼間人口が減っていきました。と、同時に物流の効率化によって小売業も大規模化し、第一次産業を除いて大半の労働がすまいの外側に出ていきました。これは労働や生産が家族単位を基本にしたものから企業単位への移行し、規模を大きく集約していったと言うことができます。これにより、我々の生活の物的側面は非常に豊かになり、高性能な電化製品を安価に購入できるようになったり、国内で生産されていないような食べ物がテーブルに並ぶようになりました。これは、人間の欲求や資本主義という仕組みから考えれば非常に理にかなった変化といえると思います。しかし、すまいに関していえば、生産や労働から切り離されたことは必ずしも肯定的な影響だけではありませんでした。家族という最小単位であれ、別の人格が集まって住む以上、必ず相互のコミュニケーションが行われます。生産や労働がすまいから離れたことで、家族がそれぞれ職場や学校など別々の場所に属すことになり、結果そのコミュニケーションの機会を著しく減らす結果に繋がったと考えられます。

これら、上に挙げたような変化はあくまで大まかなもので、実際のすまい方はもちろん十人十色です。しかしながら、一方で地域的な特性というのも依然として残っており、農村や漁村など産業に直接結びついている地域はもちろんのこと、いわゆる住宅街でも、そこに住む人々は似た属性を持っている場合が多く見られます。その地域やコミュニティの中で成長することで、その地域での価値観が判断基準になっていくのは自然なことです。しかし、これは地域的な特性といえばその多様性が肯定的にとらえられる一方で、偏った価値観と言ってしまえばあまり好ましくないとも言えます。なので、少なくとも個人的には多様性を否定しない寛容さを心がけることで、出来る限り偏りの無い価値観でいられるようにと考えています。